13年前に日本に戻ってきてまず驚いたことが、かつて甲子園にも出場したことのある高校で野球部の冬の練習がシーズン中とあまり変わらなかったことだ。
私の高校時代、11月に入ると顧問の感覚的なもので「今日から」が始まる。「今日からボールは一切使わない練習に切り替える」。その練習はやはり顧問の感覚的なもので終わる。「今日からボールを使う練習に切り替える」と2月の中旬あたりに発表があるのだ。
毎日10キロ走らされた。心臓破り、という名前がつく勾配の坂道をひたすら登り続け、頂上まで行くと次はひたすら下り続け、再び急勾配の坂が現れる。マラソンが終わるとサーキットトレーニングだ。筋肉痛が治らない。ひたすら太腿が痛い。笑うとお腹が痛い。
しかしボールを持って良いというゴーサインが出て、久しぶりにキャッチボールをした時の感動は今でも忘れられない。私、どうしたのかしら?と思うくらいにボールが伸びる。遠くまで投げられる、速い球が投げられる、コントロールが抜群に良くなっている。守備範囲がいきなり広くなっている。腰が低くなっている。コーチはソフトボールは守備の競技だと教えてくれた。練習の8割が守備練だった。バッティングはあまり時間をかけない。高校生にとって一番面白い練習に時間が割かれない。「打って勝つのはプロ野球だ。守って勝つのがソフトボールだ」と教えられた。確かに実業団の試合結果を見ると2、3点勝負だ。
ボール解禁から春休みまでひたすら変則球球回しの練習が続く。最初の頃の1周のタイムとやり続けた後のタイムが変わってくる。ノーミスで何周できるか、それもやり続けると面白いくらいに何十周もできるようになっている。練習試合が春休みに組まれても春休みに入るまでは守備につかせて実践練習をしない。3月21日、久しぶりに自分のポジションに立ち、実践練習を再開させる。笑いが出るくらい自分の守備の技術が上がっている。この感覚がたまらなく好きで、私たち部員は毎年、あの辛い冬のトレーニングをこなしてきた。
と、自慢話を書いてみましたが、ママーズの選手の中にも同じ経験をしてきた人がいるのではないでしょうか。決してママーズでこの冬トレをやりましょう、と訴えたくて書いているのではなく、以前、創部者の方の経験や思いを聞いたことがあって、聞いていて涙が出てくるほど「頑張って」こられたんだと、その熱い思いにしゃんとしたくなったのを覚えています。あの話を聞かなければ、多分、自分のママーズへの気持ちは違っていたと思います。何があっても辞めたくない、今でもそう思っています。どうにかして創部者の思いを後世につないでいきたい、真面目に思っています。だから今日は、私がママーズに入る前に、いや私がソフトボールをどう教えられてきたかを皆さんにちらっとご紹介してもいいかな、と思って書いてみました。